このエントリは続きものですので、二つ前と一つ前のエントリを先にお読み下さい。
(3) -特別普通です- では、腐女子的趣味活動、ひいては「腐女子であること」を特別に面白がったりする風潮ってどうなの? という気持ちから、そもそもの「趣味」が生活(人生)においてどんな位置を占めているかを考え直しました。
「腐女子」の認知や批判が広がってきた原因についても、わたしなりに考えてみました。
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"腐女子であること"はそんなに恥ずかしい事か
(2)では「結局恋愛ってそういうもんでしょ」と多少投げ遣りになってしまいましたが、ざっくりとまとめると、恋愛も腐女子的趣味活動も、お里は同じなんじゃないの? ということです。
お里が同じと考えると、腐女子趣味を特別視することに違和感を覚えるのです。「"腐女子的"恋愛論」とか題しておいてどの口が言う、って感じですが。
弁解するならば、違和感を覚えるが故に強調してみた、というところでしょうか。
……話が逸れました。
生活(人生と言ってもいいかもしれない)の要素を区切ったとき、「私、腐女子です」って名乗ることは「私、テニスやってます」って言うのとそう変わらないと思うのですよ。
腐女子的趣味活動(二次創作同人誌つくったり買ったりコスプレしたり?)は、結局は「趣味」という大きなカテゴリの中に包含されるので、テニスをやるとか、読書するとか、写真を撮るとか、それらと同じ階層にあると思うのです。
何てことは無い、趣味のひとつ、違ったベクトルの感情表現・ストレス発散方法のひとつだと、わたしは思います。
(そもそも生身の人間と付き合わないことが非難の種になるのは不条理ですよ。世の中には無生物と結婚しちゃうような猛者だって居るんですから……)
恋愛が趣味と同列なんて有り得ない、とか、仕事も恋愛も趣味も全部適度に頑張ってる、とか、いろんなタイプの人がいます。
でも共通しているのは、その原動力があるということ。
これについてのわたしの詳しい考察を始めると長いので割愛しますが、この原動力は、今いちばん大切にしなくてはならないものかもしれない、とわたしは思っています。
腐女子であることは何ら特別ではないし、趣味より恋愛を頑張る人も、仕事に追われてそれが充実している人も、その誰もが"普通"の人間の姿なのではないでしょうか。
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さて、とりあえず本編は終了です。続きは番外編。
何故、いちいち「腐女子」が取り沙汰されるのか
……趣味は人それぞれであり、その基盤にあるものが少し変わった嗜好であっても、それを非難する権利は誰にも無いはずです(犯罪になっちゃうようなのは別)。
それでも、わざわざ研究されたり分析されたり、男性オタク(往々にして"キモオタ"と呼ばれる人々)から「キメェ」と言われたり、腐女子の側もそういった状況に過剰に反応してしまったりする。
これ、何故なんでしょうか。
わたしはカルチャーの専門家とかでは無いしたいして調べてもおりませんので、ほとんど憶測で物を言いますが、わたしなりに考えてみました。
「腐女子」という言葉ができたての頃、それはBLを好む変わった(気持ち悪い)性癖の持ち主である女子をさしていました。
また、そもそも内部からの自称という形でできた言葉なので、腐女子以外は腐女子という言葉自体を知らなかった(可能性が高い)と考えられます。
認知されていなかったものが陽の目を見たから軋轢が云々とか、ホモが好きだなんて云々とか、色んな議論はされてきているのでしょうが。
わたしは、「腐女子」という言葉のインパクトの強さが、注目や批判の一端を担っていると思います。
だって、腐った、女子、ですよ。
「腐」って漢字、まともな意味に使うのそうそう見ませんよ。豆腐と貴腐ワインくらいですよ。
BLや同性愛を美しいものや芸術に近いものとみなす流れは決して新しいものではありませんし、善かれ悪しかれ、ネーミングは重要なんですね……。
あれ、どうしてこんなところに着地してしまったんだろう……落ちが完全に行方不明。
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わたしの無計画さが如実に表れたまとめです本当にありがとうございました。
また思いついたら何か書きにくるかもしれません。
最後に腐女子らしいことを言ってみよう。
現在放映中のアニメだと、おお振りの泉くんがお気に入りです。単体萌えですが、……えっ? えっ? なんですか? あ、夕飯ができたらしいのでそろそろ失礼しますね!
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