(テーマ:映画「攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D」2011年3月26日公開)
攻殻機動隊Stand Alone Complexは、2030年代という架空の未来を描いていながら、現代の社会問題に鋭い視線を向ける作品だ。
……という内容への評価も高いが、ここではそれは割愛し、この映画が3D作品であるという点に注目したい。
3D映画が商業的に打ち出されるようになった流れは2005年頃から始まったが、映画というある意味完成された表現形式に、立体映像の価値は果たして必要なのだろうか。私は常々、そのことに疑問を抱いてきたが、この作品はそれに一つの答えを提示しているように思う。
投げた物や突き出した物が飛び出して見えたりする効果は3D映画のひとつの"ウリ"だが、なんだかんだで、そうした表現は客寄せパンダのようなものである。予告編では多いに用いられるものの、作品中ではあまり登場しない。費用が掛かるという理由もあるが、実際のところ、結局は飛び出す表現があまり必要でないということなのではないだろうか。
……という内容への評価も高いが、ここではそれは割愛し、この映画が3D作品であるという点に注目したい。
3D映画が商業的に打ち出されるようになった流れは2005年頃から始まったが、映画というある意味完成された表現形式に、立体映像の価値は果たして必要なのだろうか。私は常々、そのことに疑問を抱いてきたが、この作品はそれに一つの答えを提示しているように思う。
投げた物や突き出した物が飛び出して見えたりする効果は3D映画のひとつの"ウリ"だが、なんだかんだで、そうした表現は客寄せパンダのようなものである。予告編では多いに用いられるものの、作品中ではあまり登場しない。費用が掛かるという理由もあるが、実際のところ、結局は飛び出す表現があまり必要でないということなのではないだろうか。
『攻殻機動隊S.A.C. SSS 3D』では、こうした"わざとらしい"立体表現はほぼ無い。この作品における立体表現は、主に電脳世界の表現と画面の奥行きのみに用いられている。詳しい解説は省くが、この作品の世界観では、多くの人々が脳を直接ネットに繋ぎ、直接コンタクトをとったり、データを参照したりできる"電脳化"を行っている。頭の中がPCになっているようなもので、電脳化された視界は立体表現と非常に親和性が高いと言える。観覧者があたかも電脳化されたかのごとく、さながら疑似電脳化体験ができる。
3D映像作品は、制作費用と利益との兼ね合いから考えても、一過性のブームに終わる可能性がある。そうならないコンテンツに進化するため3D映画を価値づける表現は、"飛び出す"、"突き出る"ではなく、"取り込まれる"ような立体表現なのだ、と、この作品は告げているのではないだろうか。
PR